BANの経歴【地元時代】高卒で就職するもバイクで死にそうになって役者を目指す

BANの経歴【地元時代】高卒で就職するもバイクで死にそうになって役者を目指す

地元時代にフォーカスして経歴を話していこう。

地元時代とかそんなに面白い話でもないと思うので、
興味がなくてクラゲ好きな方は下記の話でも読んでいってください。

逆にすごい興味ある方は下記の関連記事に概要が書かれているのでそっちも見ていってください。

【関連記事】BANの経歴

 

地元で就職

地元の優良中小企業に就職。終身雇用、年功序列と古い体質の会社。
仕事が出来ない → 残業 → 給料アップの仕組みが理解出来ず、退職。

高卒で就職した会社は古き良き日本の企業だった。
ネジや学校用の机と椅子を作っており、
机と椅子に関しては一時期シェア率50%を超えていたとかいないとか。

入社から1週間は新人研修が行われ、そこで適性を見極め配属先が決まる。
ただそれは大卒入社の人の話で高卒の場合は工場のラインに配属される。

しかし研修中に人事部の部長と将棋話で仲良くなり人事部に誘われるが、
興味がなかったので断ると希望の部署を聞かれる。
『営業をやってみたい』と伝えると高卒の中で唯一工場のラインではなく営業部に配属された。

 

最初は営業職につけて嬉しかったがそれもつかの間、
営業職といってもルートセールスで新規開拓はしない。

さらに新人の業務内容は依頼された商品を倉庫から集めて
パレットの上に乗せるだけの簡単な仕事だ。

思っていた営業職と全然違い単調な日々が流れる。
どうにかして人に物を売り込む仕事だと思っていたので期待はずれ感が半端ない。

労働時間は8時間もあるのに5時間あれば全ての業務が終わってしまう。
仕事量は徐々に増えたがその分作業効率も上がったので毎日3時間は暇な時間がある。

新しい仕事をしたくて上司に他の仕事を尋ねると先輩の仕事を手伝ってくれと言われる。
しかし先輩の仕事も商品を倉庫から集めるだけの作業だ。
単純に取引先が違うだけでざっと見ると元々の仕事量は私よりも少ない。

上司に言われたので仕方なく先輩の仕事を手伝うも一瞬で終わってしまう。
暇なので先輩の働きっぷりをみていると効率が悪く作業も遅い。

先輩は毎日2時間近く残業している。
私は毎日3時間早く終わらせて他の人の手伝いをしている。

もし仮に同じ労働量だとしてもその差は5時間だ。
しかし給料で考えると毎日2時間残業しているだけ先輩の方が多い。
優秀な方が給料が安い仕組みはおかしい。

上司にその事を相談に行くとこう言われる。

上司
お前も大人になればわかるよ。

そんな大人になりたくないし、なろうとも思わない。
数ヶ月後、親の反対を押し切り辞表を提出した。

30歳を超えた今も正しく評価されない社会はおかしいと思い続けている。

 

ニート

失業保険(失業手当)受給。京都の後輩の家に1ヶ月寄生虫。

仕事を辞めたはいいが特にしたこともなかったので失業手当を貰いながらブラブラする。

専門学校に通っている友達と夕方から朝方まで遊び倒し、
友人が学校に行ってる間に寝て、また夕方から朝方まで遊び倒していた。

全く生産性がないこの生活から脱却する為に人脈をフル稼働させて面白い事を探す。

 

後輩が京都の大学に通っている事を思い出して連絡してみる。
大学生活にも慣れて京都生活を満喫しているようだ。

仕事を辞めた事を告げ今度京都に遊びに行ったら泊めてもらえるか確認すると
「いつ来てもいいですよ」と心優しい言葉をもらう。

翌週、鞄ひとつで京都に向かう。

 

突然の訪問に後輩も驚いていたようだが何も言えない。
高校時代に何度か合コンをセッティングした貸しは大かったようだ。

後輩の大学にはついて行かず自分で人脈を作ることにした。
だが知り合いが1人もいない状況からだとなかなか難しい。

街中でナンパしたり、出会い系サイトで何人かの女の子と会うが
少しのランデブーを楽しむだけで人脈がそこから広がる事はなかった。

仕方ないので近所のレンタルビデオ屋で毎日ビデオを5本借りて来てはひたすら観ていた。

 

京都に来ている意味がないと一念発起し演劇のワークショップに参加することにした。
この作戦が大成功で友人を何人か作る事ができて夜の京都をドライブしたり、
深夜によくわからないところに侵入して警報ブザーを鳴らしていた。

しかしそんな生活も突然終わりが訪れる。後輩に彼女ができたのだ。
後輩の彼女は実家暮らしで2人でイチャつく場所は後輩の家しかない。
流石にこれ以上迷惑をかける訳にはいかない。

『幸せになれよ』

と置き手紙を残し後輩の家を去る。

 

バイク事故

東名高速道路にてバイク運転中、時速100キロで横転して走馬灯を見る。

京都から戻って来ても結局やりたい事が見つからない。
中学校からの同級生はみんな大学にいき将来に向けて勉強しているというのに
私には将来どうしたいか自分でも分かっていなかった。

ある時静岡から東名高速道路を使い浜松に向けてバイクで走っていた。
浜松でこれから飲み会なので急いで帰らなければいけない。

自然とスロットルに力が入る。

時速80キロを超えた辺りからハンドルが少し揺れ始める。
ドラッグスタークラシック400ccというアメリカンタイプのバイクに乗っていた。
このバイクは友人から買ったもので、

友人
本当はハーレーが欲しかったけど予算の都合でドラスタ(ドラッグスター)にした。

だからかなり無茶な改造をして様々なパーツがハーレー仕様になっている。

「マフラーはハーレーの音をイメージさせて、車高もかなり落としてサスペンションも外した、
さらにハンドルは非正規品をつけているから80キロ以上出すと制御が効かなくなるよ」

こう言われた事を完全に失念していた。
バイクの速度メーターに目を落とすと100キロ超えている。

ヤバイ!しかし急ブレーキをかける訳にもいかない。
徐々にスロットルを緩めるが時すでに遅し。

ハンドルはインフィニティ(∞)の動きをしている。

止まらない!デンプシーロールが!!止まらない〜〜〜っ

そんな幕の内一歩の事を考える余裕もないくらい必死だった。

両腕に力を込めてどうにかインフィニティの動きに抵抗してみるが、
力を込めれば込めるほどハンドルは無限の動きを繰り返す。

どうにかして助かる方法はないだろうか、
ガードレールにぶつかれば倒れるよりも軽傷で済むかもしれない。

いや、100キロで突っ込んだら確実に死ぬだろ。

再度力の限り両腕でハンドルを押さえつけるも、
インフィニティの輪は先ほどよりも確実に大きくなっていた。

 

 

 

諦めよう。

 

 

 

死を受け入れることにした。

このまま転倒する訳だから死ななかったとしても、
腕か足の一本は持っていかれるだろう。

最悪の事態を想定してそれを受け入れてしまえばもう怖いものはない。

 

ハンドルがうねる事によりバイクもつられて右に左に振られている。
振り落とされないようにハンドルをしっかり握り転倒に備える。

しばらく蛇行運転したかと思うとバイクは勢いよく転倒した。

バイクのハンドルが地面に擦れて火花が散っている。

BAN
これが最後の風景か、火花って綺麗だな

なんて思いながら走馬灯を見る。
思い返せば何も成していない人生だったなと感じる。

もしここで命が助かったら何か社会貢献できる事をしようと決意をしながら火花を眺める。

しかしなかなか火花は止まらない。

BAN
なげぇ

アドレナリンの作用だろうか、数秒のことなのに数分にも感じた。

 

やっとバイクが止まり迷惑にならないように後方を確認して路肩にバイクを移動させる。
その後、自分の体を確認すると欠けているパーツはなかった。

そういえばバイクを譲ってくれた友人はハンドル以外にマフラーも無理やりつけたと言っていた。
幸いにも右側に倒れたお陰でマフラーが支えになって車体と地面の間に隙間が出来ていたようだ。

だがいくら隙間があったとしても転倒の衝撃で顔と体の一部、
隙間が十分になかったから体の右側はだいぶ怪我を負っているようだ。

幸いにもこれもアドレナリンのお陰で痛みはないが
右側の衣服はボロボロに破れ血まみれの状態だ。

どうしようか考えていると一台の車が止まり遠くに落ちていた靴を拾ってきてくれて、
「救急車呼びますか?」とお兄さんが声をかけてくれた。

自損事故を起こした事が恥ずかしくなり『自力で帰れるんで大丈夫です』と強がる。
靴を拾ってくれたお礼を言うとお兄さんは心配そうな顔をしながら去って行った。

さて本当に自力で帰れるのだろうかバイクのキーを回してみる。

キュルキュルキュル、ボッボッボッボ

変な音はするがエンジンは生きている。
バイクにまたがり血まみれで家まで帰り親に病院まで連れて行ってもらう。

 

病院に着いた頃にはすっかりアドレナリン効果もなくなっており全身が焼けるように痛い。
だいたいの傷は血が固まってきているが、深い傷はまだ血が流れている。

怪我の手当てで傷に挟まっていた石が大量に取り出される。
「コンクリートで転ぶとこれがあるから大変なのよ」と言いながら看護士さんが
傷口からピンセットで小石を取り出している。固まりかけていた傷跡から再度血が流れ出る。

石を全て取り出した後に傷口の消毒をされ包帯を巻かれる。
右半身のほとんどの部分に傷を負っていたのでミイラになってしまった。

転倒時に顔を打ち付けたので顔の骨に異常がないかレントゲンを撮ってもらう。
そのレントゲン写真を見た医師から衝撃の事実が告げられる。

 

 

 

 

 

医師
君の頭蓋骨厚いねー。あー、脳みそ小さいねー。

 

 

 

 

 

頭蓋骨の話はわかるが脳みそは今関係ないだろ!

話を誤魔化す様に医師はこう話を続ける。

医師
高速で転倒すると大抵後続車に跳ねられて死ぬが君の場合はラッキーだったね。

不幸中の幸いとはこの様なことを言うのだろう。

 

上京資金稼ぎ

役者になるためバイトを4つ掛け持ちして状況資金を稼ぐ。
睡眠時間2時間。

冷静に自分は何者になりたいか考えたとき「役者」という選択肢があった。
大抵のことは人よりも早く上達してすぐに飽きてしまう。
俗にいう器用貧乏というやつだ。

しかし演技は違っていた。回数をこなせばこなすほど回答が増えていく。
高校時代に何度か舞台に立ったが自分の中で満足する領域に1度もたどり着かなかった。

そうと決まればまずは地元で劇団探しをしよう。

 

地元の小劇団に所属した。
若い男性の役者は少ないらしく、すぐに重宝されて看板俳優になった。
他の劇団からも客演依頼が来る様になり精力的に演劇活動を続けた。

地元の小劇団の人々はみんな趣味で演劇をやっている人たちで、
仕事をしながら趣味で演劇活動を続けているのだ。

誰も演劇活動だけで食べていけている人はいない。
むしろ演劇活動は費用はかかっても収益が出ることはない。

本気で役者になるためにはこのまま地元にいては無理だと悟り、
上京する事を決意する。

 

現在は親に約100万円の借金をしている。
それを返済した上で東京に引っ越す費用を考えたら200万は稼ぎたい。
しかも最短でだ。

技能も資格もない私の選択肢として時間をお金に変えるという方法しか思い浮かばなかった。
最初は昼間工場で働いた。次に夜は週2でコンビニの深夜バイトをした。
さらに工場からコンビニまでの間を大手レンタルビデオショップで働く。
そして別の深夜コンビニで週3で働くことにした。

週5で20時間時間の労働をして空いてる日は劇団の活動をしていた。
そのお陰で1年間で借金を返済して200万の貯金をすることができた。

東京にいく準備は整った。

 

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