【海外移住】国際結婚をした後の話【ハネムーン】

【海外移住】国際結婚をした後の話【ハネムーン】

BAN(@banlife19)です。

「世界一周を辞めた前後の話」でも書いた通り、ベネズエラで国際結婚をしました。

その後の事を少しだけ。

結婚後の生活

6月に結婚したが私たちの生活に変化は無かった。

相変わらずのホテル暮らしだ。

ホテル暮らしを辞めて家を建てる事も考えたが、彼女の所有地は交通の便が悪いから無しになった。

バスは1時間に数本しか走っていないし、私たちは車もバイクも免許すらも持っていない。

妻は毎朝大学へ行き、私は二度寝をする。

昼過ぎに一緒にご飯を食べに行き、買い物したり、散歩したり、ホテルでゴロゴロして、夕飯も外で食べる。

ベネズエラではホテル暮らしで毎日外食をして好きに買い物していても、毎月の生活費が200ドル程度しかかからない。

ただ一つ進展があったとするならば結婚指輪を作ったことだ。

結婚指輪はオリジナルデザインで作ってもらった。

自分で書いたラフを工房に持っていき2週間ほどで出来上がった。

 
結婚指輪

結婚指輪インフィニティデザイン
2つ重ねると無限を意味するのデザインにしてもらった。

日本では結婚指輪は左手にはめるが、海外では右手にはめる場合もある。

ただベネズエラでも左手に結婚指輪をはめるのが主流らしい。

少し話し合った結果、彼女は左手にはめて私は右手にはめることにした。

 

結婚指輪右手
こうすれば手を繋いだ時に結婚指輪も繋がる。

 

妻の大学卒業

ケニア大学卒業
8月になり妻が大学を卒業。

ベネズエラで医学部の卒業式は前夜祭も含め4日間で5回もの式典がある。

初日は前夜祭として卒業生とその家族、友人が集まって車で市内を走り回り、夜には食事会とダンスパーティー。

二日目は宣誓の儀があり、大きな会場で医師としての心構えを近い、卒業リングの授与式が行われる。

三日目の昼間は最終日の予行練習兼会場の下見が保護者同伴で行われ、夕方には教会での卒業式が行われる。

そして四日目は大学の講堂で卒業証書が渡される。

四日目に関しては同伴者にもドレスコードがありシャツとネクタイ着用が必須だったが、私は日本人ということで着物での入場が許可された。

女性の卒業生はこの5回の式典全て別のドレス・髪型で参列する。

 

ケニア卒業式
妻もまた5回とも全て変更していた。

それに付き合っていたのでこの4日間はなかなかにハードだった。

卒業式も無事に終わり、これでもうベネズエラに滞在している理由はなくなった。

 

ベネズエラの結婚式

ベネズエラ結婚式
卒業式の前後に挙げる予定の結婚式だったが式場が見つからず、結局は2ヶ月遅れの10月にベネズエラで結婚式を挙げた。

式場と司会とDJだけ手配して料理やドリンクは行きつけのお店からケータリングしてもらうことにした。

本来ベネズエラの結婚式は夕方から始まって朝までというのが一般的だが、私たちの結婚式は昼から夜までにした。

参加者は妻の親族と友人、私の友人で合計50名ほどになった。

 

結婚式当日、身支度に思ったより時間がかかってしまい11時開始の予定だったのに30分ほど遅れて会場に到着する。

しかし流石ベネズエラと言ったところか参列者がまだ半分も到着していなかった。

12時頃になり続々と参列者が到着、12時半頃にほぼ全員が揃った。

私たちの入場曲は「ダースベーダーのテーマ」か「結婚行進曲」か悩んで、結局は無難な「結婚行進曲」にした。

入場後は即ダンス。しかも私たち夫婦だけ。

これがベネズエラスタイルだという。

ダンスの後は少し歓談して、食事を出してもらう。

そしてみんなで写真を撮ったりまた話をしたりダンスをしたり。

しばらくするとイベントがはじまる。

女性陣が集まってダンスを踊るのだが、司会者がまくし立てダンスはどんどんとセクシーになっていく。

次は男性陣のターン。同じようにセクシーダンスを披露する。

すると何故か私の番になり、椅子に座っている妻に対して求愛のダンスを踊らされる。

そして今度は妻から私に求愛のダンスを踊る。

なかなかに異文化だ。

その後もブーケトスをしたり、ダンスしたり、トレインしたりとベネズエラの結婚式を堪能して19時頃に解散。

これまでベネズエラでは2回ほど友人の結婚式に参列したことがあったが、自分達の結婚式は想像以上に疲れた。

 

日本へハネムーン

日本のハネムーン京都
結婚式の翌々日から日本へのハネムーンに出る。

まずは東京で数日間過ごし、その後は実家の静岡に行き私の両親に妻を紹介した。

どんな反応をするかと期待していたが、特段変わった様子はなく妻も両親もすぐに打ち解けていた。

と言っても妻は日本語が喋れず、両親は英語もスペイン語も喋れないので雰囲気で理解している様子だ。

しばらく実家に滞在した後は、大阪と京都を観光した。

京都は数年前に比べて多くの外国人観光客で溢れていたが、よくよく考えれば私たちもある意味外国人観光客だ。

妻と一緒に観光していると面白い現象が起きた。

店員さんやスタッフさんが、何故か私にも英語で話しかけてくるのだ。

いちいち説明するのも面倒なので私も英語で受け答えをする。

その様子を笑いながら見ている妻。

その後、静岡に戻ったり日本での入籍をすませ東京に行ったりと3ヶ月間日本を満喫。

 

日本のハネムーンハロウィン
渋谷のハロウィンに参加した帰り、タクシーの乗車拒否され電車で帰宅。

 

ベネズエラに帰れない

ハネムーンを終え南米に戻ってくるとベネズエラの治安は以前にも増して悪化していた。

しばらくコロンビアに滞在してベネズエラに帰ろうとしたタイミングで大統領が2人になった。

想像の斜め上をいくデタラメさだ。

相当狂っていなければ大統領が2人になる事なんてまずない。

こうして帰るタイミングを見失い、ベネズエラの様子を見ていると今度は国境付近でイザコザがあった。

そして数名の死者を出しベネズエラとコロンビアは国交断絶状態になる。

こうなってしまってはクーデターや内戦がいつ起こってもおかしくない状態だ。

こうしてベネズエラに帰る事を諦めた。



ブログランキングに参加してます。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村
応援のワンクリックお願いします。


See you again.

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で