国際恋愛の問題。「愛してる」の基準を相手に求めるべきではない

国際恋愛の問題。「愛してる」の基準を相手に求めるべきではない

BAN(@banlife19)です。

人それぞれ「愛してる」の基準があると思います。

ただそれを相手に押し付けて「私が思う愛してるはこういう事だから守ってね」とか「俺が思う愛してるの方が正しい」とかは無いです。

そして「愛してる」の感覚は国内恋愛よりも国際恋愛の方が温度差があると思います。

変化

最近の彼女は以前よりも怒りっぽい。

最近は朝から夕方まで毎日病院の研修で忙しくしており、夜もずっと勉強をしている。

それに対して私は常に自由に生活している。

彼女が眠たい中、病院に行くのに対して私は爆睡しているのも彼女にしてみたらイラつくのかもしれない。

そんな彼女が最近よく「アナタ変わったよね」と言うようになった。

付き合い始めてしばらくすると多くの女性はこの言葉を口にする。

それは日本人でもベネズエラ人でも同じ事だった。

彼女の言う通り私は付き合い始めから変わったかもしれない。

しかし彼女も付き合い始めとは変わっている。

お互い変わったのだからそこを指摘しても意味がないだろうと思ったが、静かに彼女の意見に耳を傾けることにした。

「優しくなくなった」「構ってくれなくなった」「話す時間が減った」

全てその通りだ。

優しくなくなって、構うことも減り、話をする時間もなくなった。

しかしそれは何故だろう。

優しさは相手の行為に比例する。彼女が優しくなくなったから私も優しくなくなった。

構っていたら怒られた。それ以降、彼女が嫌がるから構わなくなった。

以前喧嘩した時に「私だってアナタの話聞いてあげてんのよ」と言われた。それ以来積極的に話しかけるのを辞めた。

しかし以上の事で彼女を責めた事はない。

彼女の態度が変わったので私も態度を変えた。ただそれだけだ。

それ以上でもそれ以下でもない。

責めもしないし、責められる権利もない。

しかし彼女はその部分を指摘してきた。

「愛してる」の基準

「愛してる」なんて言葉は曖昧だ。

「美味い」とか「不味い」の方がよっぽど説明ができる。

彼女を含め多くの女性にとっての「愛してる」は、常に相手の事を思いやる気持ち、寛大な対応、凄まじい包容力、奇跡的な気配り、必要以上のおもてなし、度が過ぎるほどの優しさとかなんだろう。

しかし私にとっての「愛してる」は、相手の為に死ぬ事が出来る信頼、切磋琢磨して成長し合える環境、共通のモラルや倫理観と判断基準、考え抜く事の出来る忍耐力。

甘えたい彼女と鍛えたい私。

考えたい私と感じたい彼女。

頭では理解しているが相手の基準に合わせるのはなかなか難しい。

だから私は私の基準を彼女に押し付けない。

しかし時に彼女は彼女の基準を私に押し付けてくる。

一度ゆっくり話し合う時間が必要なのかもしれない。

まとめ

男性と女性、日本人とベネズエラ人。

対比すればそれぞれが違うのは明確です。

違う2人だからお互いの足りない部分を補い合えるのではないでしょうか。

それを無理に自分と同じ型にハメてしまうのは勿体無い。

もっと自由に相手を尊重して生きれたら、もっと素敵な生活が送れる気がします。



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