最大多数の最大幸福についてバスに揺られながら考える

最大多数の最大幸福についてバスに揺られながら考える

ウユニ塩湖に向かう車の中でふと【最大多数の最大幸福】について考えた。

100人の人が居て80人が幸せになるなら、
20人が不幸せだとしてもそれは正しい行為だ。

って事なんだろうけど、
幸福と不幸には高さ?大きさ?も孕んでいて、
80人の僅かな幸せの為に20人がとてつもない不幸を被るのであればその時はどうなるのだろうか、
逆に20人がとてつもない幸せを得られるが80人が僅かな不幸で済む場合は?など頭の中がグルグルしていた。

しかし幸不幸なんて立場によって変わってくるし、
幸不幸の大きさも人によって変わってくるのだろうから【最大多数の最大幸福】という
共通認識の元で動いていても全く違った考え方になるのは仕方が無いと思った。

しかし【最大多数の最大幸福】は指針として確かなモノであると私は考える。

全員が幸せになれないんだったら、
より多くの人が幸せになれば良い。

その為には多少の犠牲は仕方が無いと思う。

もし仮に自分が犠牲の側になったとしても受け入れる覚悟はあるよ。



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