日本人に必要なのは違いを認め合う事じゃないだろうか

日本人に必要なのは違いを認め合う事じゃないだろうか

例えば九九が出来ない大人がいるとする。

多くの人が、馬鹿にするか、引くだろう。

「大人になって九九も出来ないとかありえない」なんて言う人もいるかもしれない。

そんな私は九九が出来ない。

南アメリカの人達はどこの出身か顔を見ればある程度分かるらしい。またはスペイン語の発音でコロンビア、ペルー、エクアドル、ボリビア、ベネズエラ等の違いが分かるらしい。

しかし私は分からない。

逆に彼らはアジア人の違いが分からないという。

中国人も韓国人も日本人も全部一緒に見えるらしい。

私はある程度分かる、髪型や服装、輪郭や骨格の違いで。

しかし私たちはお互いを否定しない。

分かる事、分からない事は人によって違う。その人の常識であったとしても他人の常識であるとは限らない。

だから私たちは決して否定をしない。

しかし日本人はどうだろう。

常識が【絶対】だと考える人が多過ぎやしないだろうか。

義務教育でマニュアル人間を量産する社会。

その癖に「個性が大事」とか言い始める。

個性が強過ぎるとアナタ達は叩き潰すんでしょ。

私も叩き潰された子供の1人だった。

大人に馬鹿と言われたが逆に私は彼らが馬鹿だと思っていた。

だって私が理解できる事をアナタ達は全く理解出来ていないでしょ。

常識に縛られて真実が見えていないでしょ。

すごくシンプルで当たり前の事なのに多くの人はなんで気付けないのだろう。

と思うのは私の勝手で、別に理解して欲しいと強要するつもりはない。

だからみんなも勝手に自分の信じるモノやコトを貫き通せば良いし、それを他人に強要する必要は無いと思う。

ただたまには人と討論する事や、他人の意見に耳を傾けて新しい価値観や考え方を吸収するのも悪くない。

それぞれ違ってていいし、違うからこそ面白い。

でも多くの人は共通認識で物事を語りたがるのは、その方が楽だからなのか。



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