BANの経歴【学生時代】陰が薄すぎて「背後霊」と呼ばれていた男が生徒会長になる

BANの経歴【学生時代】陰が薄すぎて「背後霊」と呼ばれていた男が生徒会長になる

学生時代にフォーカスして経歴を話していこう。

学生時代とかそんなに面白い話でもないと思うので、
興味がない方は下記の話でも読んでいってください。

逆にすごい興味ある方は下記の関連記事に概要が書かれているのでそっちも見ていってください。

【関連記事】BANの経歴

 

幼稚園時代

車に跳ねられ、たんこぶ一つで済む。

幼稚園の頃は本当にヤンチャだった。
4人兄弟の末っ子ということでかなり放任主義で育てられ、
全て自分の思い通りになると思っていた時期もある。

タンスの引き出し具合を調整し階段の様にして一気に上まで駆け登り、
そこから両親や兄弟に向かってライダーキックをかますのが趣味だった。

 

ある日、1人で目の前のスーパーに行こうとしたところを車に跳ねられた。
横断歩道のない道路で左右を確認したつもりだったが
確認しきれていなかったのだろう。

車の方も相当なスピードを出していたそうで跳ねられた後、
私の体はボンネットに一度乗ってから地面に落ちた。
跳ねられた瞬間の記憶すらないので一切覚えていないが。

救急車で病院まで運ばれ精密検査をしたところ、
車のフロントに頭からぶつかったお陰で特に骨に異常はなかった。

唯一の怪我が頭にできた、たんこぶだった。

 

小学生時代

陰キャで勉強も運動も中の中。
あまりにも陰が薄すぎて「背後霊」というあだ名で呼ばれる。

目立たない小学生時代だった。
勉強は嫌いだったので宿題以外家で勉強をした事がなかった。
それでも授業を聞いているだけでテストでは毎回平均点以上取れていた。

多分そこそこ頭が良かったのだろう。
ただ勉強に対して興味が湧(わ)かずに近所の田んぼで
オタマジャクシを取っている方が何倍も楽しかった。

子供の頃から寒さには弱くて冬になると布団から出たくなかった。
小学校では風邪の時以外は長ズボンは禁止だったので、
ロングの靴下とハーフパンツで寒さを凌(しの)いでいた。

その時代ハーフパンツの存在が世に出ていなかったので、
オリジナルで親に作ってもらい、周りの友人からは「中ズボン」と言われていた。
※中ズボン=半ズボンと長ズボンの間だから。

 

家では幼少期から変わらずのオレ様キャラだったが、
学校ではあまり人とコミュニケーションをとるのが苦手だった。
完璧なる内弁慶だ。

その甲斐(かい)あってか存在感が薄いと言われ、
「背後霊」と呼ばれる様になる。

今思えば完璧ディスられとるやんけ!

 

中学生時代

入学から2ヶ月で蓄膿症になり2週間の入院。成績が下の下まで落ちる。
先生に媚を売り高校への推薦枠ゲット。

入学してすぐに両親と学校に頭痛がすると申告していたが、
保健室の先生は「熱がない=仮病」と判断する人で1ヶ月ほどうやむやになっていた。

流石に1ヶ月言い続けるのはおかしいと親が病院に連れて行ってくれて
精密検査にすると蓄膿症だという事が判明。

手術と薬で散らす方法があり手術をした場合は身長が止まるリスクがあるので、
2週間ほど入院して薬で散らすことにした。

入院中は全ての週刊誌を買ってもらい、ゲームボーイ三昧、
たまに病院を抜け出しゲームセンターにも行っていた。

クラスメイトが授業をまとめたノートを持ってきてくれたが、
一度も開くことなくゴミ箱に捨てていた。
お陰で退院後に授業を受けると全く意味がわからなくなっていた。

小学校時代は授業さえ聞いていればテストでは
平均点以上取れていたが今は授業がまずわからない。
保健室に逃げ込むか早退を繰り返していた。

そして益々授業についていけなくなった。

 

中学2年も終わりに差し掛かり進路について尋ねられる。
勉強もつまらないのでこれ以上学ぶ気は無く、
中学を卒業したら鳶職か土方でもやろうと思っていた。

しかし親から猛反発を受ける。
「高校くらいは卒業しとかないと潰しが効かない」と何度も何度も言われ、
遂には勝手に家庭教師を雇われる。

家庭教師の訪問時間に押入れに隠れたり、
家庭教師を懐柔(かいじゅう)して一緒に漫画を読むなどして
勉強を拒んでいたら「この子に教えるのは無理です」と
家庭教師が私の元を去って行ったこと3回。

親も遂に諦め家庭教師を呼ぶのを辞めた。
そしてこう言われた。

「どうせアンタの頭じゃ行ける高校ないもんね」

ただ単に家庭教師を3人も飛ばした苛立(いらだ)ちからきた、
感情的な一言だろうが天邪鬼な私にとっては一番効果があった。
その日から家では一言も言葉を発しなくなる。

 

勉強は嫌だったので仲のいい教師に何かいい方法はないかと相談した。
するとボランティアを勧められる。

当初はボランティアなんかで高校行けるわけないだろと思っていたが、
他にいい案もなかったのでその教師の提案を受け入れた。

具体的には朝30分早く学校に行き、
校門の前に立って「おはようございます」と挨拶するだけの活動。

【朝の挨拶運動】と名付けられたそのボランティアをやってみる。
最初は苦痛でしかなかった。
友人には何でそんなことをやってるのかとバカにされ、
他の生徒には意味不明な人がいると気味が悪いと避けられた。

しかし逆に良い。
好奇な目に晒(さら)されている感覚はなんとも心地がいい。
前人未到の領域に踏み込んでいる感覚と
精神的M気質がマッチしてこの活動を半年ほど続けた。

その結果通オール1だった通知表が平均3まで上がりった。
さらにボランティアの実績が認められ高校への推薦枠をゲットする。

半年以上の家庭内無言(ドメスティック・サイレント)を貫き高校へ進学する。

 

高校時代

入学から2ヶ月で1週間の停学。タレント養成所に通うも半年で辞める。
人手不足により生徒会長に抜擢。

商業高校に進学したので授業内容が一新した。
そのお陰で下の下だった成績は上の中まで上がる。
勉強は嫌いだが頭はいい方だった。

高校デビューで頭いいキャラを演じたくなり、
入学当初から休み時間に本を読んでるフリをして時間を潰していると、
いつの間にかクラスに居場所がなくなる。

昼休みは別のクラスに移動して中学校の友人グループに入れてもらっていた。
入学から2ヶ月目にその友人達と昼休みに教室内で宴を連日開催。

宴に参加していたメンバーの1人が女子に嫌われていたことから
女子グループに宴の内容を教師に密告される。
授業中に呼び出され無事1週間の停学と頭丸刈りを言い渡された。

 

学校生活が暇だったのでタレント養成所の面接を受け合格する。
名古屋の養成所だったが毎週末名古屋まで電車で通いレッスンを受ける。

芸能界の一歩手前だから華々しい世界かと思っていたらかなり地味で
講師陣の言ってることも理解できず半年ほどで辞めた。
多分あの養成所じゃ千年続けていてもタレントになれなかったと思う。

 

また暇になったのでバイトを始める。少しお高い回転寿司。
最初はホールと軍艦の周りの海苔を巻くだけの仕事だった。

働くことが楽しく色々と手伝っていたら店長が目をかけてくれて、
軍艦から巻物、巻物から仕込み、仕込みから握りと
本来バイトにはさせない仕事を任されるようになる。

労働時間も長く時給も上げてもらった事により
高校に行きながら月に10万以上稼ぐようになる。

「仕事は自ら取りに行くものだ」という店長の教えは
それからずっと私の中で生き続けている。

半年ほどして高校を辞めて就職しないかという話をもらうが、
高校生活もそれなりに楽しんでいたので、
その話を断りバイトを辞める事にする。

 

高校生活に戻ったものの刺激が足りないので
いろんな場所に顔を出すようになる。
その中の一つが生徒会室だった。

オセロが置いてあったので連日そこでオセロに興じていると
いつの間にか生徒会に入っていた。

そんなに生徒会活動が活発ではない学校だったので、
生徒会長や副会長などは年功序列で生徒会内で話し合われ
そのまま全校集会でスピーチして信任投票という形になる。
立候補者が他に出ることはまずない。

1学年で前期と後期を担当する事になる。
私たちの代は5人ほどの生徒会執行部員がいて、
オセロメンバーだった私の序列は一番下だった。

しかし前期を担当した執行部員たちが役職に嫌気をさして
後期に生徒会長をやりたいという人がいなくなる。
当然私に白羽の矢がたった。

この学校始まって以来の停学経験のにある生徒が会長職に就任。
私が在籍していた科の生徒会長も実に15年ぶりだと言われた。

生徒会長になった私は権力を使い
自分が所属する演劇部の部費を上げたり、
演劇部員を大量に生徒会に送り込み私の地盤を盤石にした。
完璧に悪政だ。

さらに教師からは生徒会長と呼ばれるようになり、
頭髪検査ではあからさまに茶色なのに見て見ぬ振りをされる。

 

これ以上勉強はしたくないので大学には行かず就職する事にした。
そもそも我が家に大学に行った人間がいなかったのも
高卒で働くという選択肢を選んだ一つの理由だ。

生徒会長、演劇部部長3年間、成績優秀ということで、学校推薦の就職先は選びたい放題だった。
給料が高く待遇のいい地元の中小企業に就職する事にした。

 

>>「BANの経歴」シリーズの次の話を見てみる:【地元時代】高卒で就職するもバイクで死にそうになって役者を目指す

 

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