多様性を認める事が否定的な考え方を無くす事に繋がる

多様性を認める事が否定的な考え方を無くす事に繋がる

高山病が落ち着いて来たと思ったが今度は風邪を引いたらしい。
本当に私の体は軟弱だ。瞬発力や反射神経は人並みかそれよりもやや上だと思うが体力が絶望的に無い。

子供の頃はこの軟弱な体を疎ましく思ったりもしたが、逆に常に体調が悪くなるお陰で仮病をマスター出来た。仮病のコツは体調が悪い時の感覚を普通の時に表現すればいい。

ここで誰にでも出来る仮病のコツを。

・声を小さく:出来るだけボソボソと喋る。相手が聞き取れるか聞き取れないかのギリのレベルで。聞き返されたら単語のみを返答する。返答後にため息をつくと尚良し。
・よろける:出来るだけ壁伝いに移動。地に足がつかないを表現してみよう。
・ちょっと下向き:下を向く事によって頭が重いという表現に繋がる。
・呼吸のペースを早く:体調が悪いと呼吸が浅くなるので呼吸のペースを早くすると病気っぽい。

小、中学生時代はこの方法を駆使して常に早退をしていた。就職してからもたまに使っていた。ごめんなさい。
今日は多様性のお話。

日本は世界的にみるととても珍しい国だ。

海外の多くは様々な人種で構成されている。元々の国籍も違えば肌、目、髪の色、考え方、文化、ルール等が全く違うのだ。
しかし日本は大半が日本人のみの単一民族で構成された珍しい国だ。

それはそれは意思の統制が簡単だろう。だから日本はここまで発展する事が出来たのかも知れない。

日本人は頭が良いと言われているが、それは元々の気質以外にも教育が効率的だからではないだろうか。静かに椅子に座り先生の言葉を素直に受け止め、黒板に書かれた文字をそのまま書き写す。それが正しい授業風景だと多くの人が考えているかも知れない、しかし海外では授業中にお菓子を食べる事や雑談をする事が許されている国もある。

幼少の頃から複数の人種と接していれば多様性を認める事は容易い。

しかし日本人はどうだろう。全く逆だ、幼少期から教え込まれた数々の事を考えると多様性を認めるのは難しい人間に成長してしまったのではないだろうか。

例えば信号無視について話題が出た場合。
日本人の場合は信号無視をする事の優位性、逆に信号無視をする事のリスクを述べどちらが正しいかと話し合ったりもする。
しかし他国の人はもちろん優位性、リスクは話すかも知れないが最終的に私はこう思うで集約するだろう。

それは人と違うからダメ、倫理的に・モラル的にダメ、誰かが叩いてるから一緒になって叩く。では無く自分の頭でもう一度考えて私はそれは嫌いと言った方が人には伝わるだろう。

いくら同じ文化で育ったとは言え人間は決して同じではない。だから違う考え方、違う思想を持っていてもおかしくないし、むしろそっちの方が楽しい。否定するのもつまらないし、否定された方もいい気分ではない。

そして難しいところだが、私は否定はダメで批判はしても良いと考えている。否定は根本的から意見を打ち消すものに対して、批判はその意見に対して逆説を述べるもの。だから否定はダメで批判は良いと私は思う。

そしてその批判の意見に他者を絡ませる事は無くあくまで自分の責任の範疇で語り、その結果反応がなかったとしてもそれはその人の自由だ。

「これはダメ、あれもダメ」ではなく、「私はこう思う」という意見を持つ事、そして他人が自分と違う意見を持っていたとしてもそれを受け入れる事が出来る事が世界的にみて自立した人間なのだろうと私は思う。



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