多様性を受け入れる際に理解をする必要も理解をしない必要もない

多様性を受け入れる際に理解をする必要も理解をしない必要もない

BAN(@banlife19)です。

多様性を受け入れる際に、「理解」と言う言葉を使うことに違和感を覚える。

多様性を受け入れるのは「相手のことを理解する」でも「理解出来ない事を受け入れる」でもない。

「理解する」という前提条件が違う。

多様性とは?

そもそも多様性とは一体なんなのだろうか。

以下wikiより抜粋。

多様性(たようせい)とは、幅広く性質の異なる群が存在すること。性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なる。

つまり「いろんな種類のいろんな事が存在している」というのが多様性ではないだろうか。

存在している物に対して「理解したい」と思うのは人間のエゴだ。

空とはなんだろう、海とはなんだろう、地球とはなんだろう。

疑問を持って理解しようと務めるのは構わない。

ただ理解出来たとしても出来なかったとしても、そのものが存在している事に変わりはない。

 

多様性へのアプローチ

まず多くの人が間違える多様性へのアプローチは「理解しよう」と務める事。

理解するしないに関してはこちら側の都合なので、相手には一切関係がない。

つまり「理解すること」は「多様性を受け入れる」事とはなんら関係がない。

そして更に一歩踏み込んだ人が犯す間違いは、「理解出来ない事を受け入れる」という認識。

理解出来ないけれどその違いを受け入れる。

それが多様性を許容すると言う事だと言う。

しかし私はそれも間違っていると思う。

なぜなら前提条件が「理解」だからだ。

多様性なんてものは各々が勝手に持っているものでそれを理解されようがされまいが関係ない。

もう既に存在しているのになぜ私達が「理解」と言うアプローチをする必要があるのだろうか。

別に先方は「理解」して欲しいとも「理解」されたいとも思っていない。

「理解したい」のは私達で、「理解できない」のも私達の問題だ。

なので多様性を受け入れるとは、ただその存在自体を受け入れる事だ。

 

理解について

人間という生き物は理解したい生き物だ。

理解する事によって安心感が生まれる、逆に理解できないと恐怖が生まれる。

だから暗闇は怖いし、ピエロの様な笑っているのか悲しんでいるのか分からない顔も怖い。

存在するのかしないのかよく分からない宇宙人も幽霊も怖い。

ゆえに多くの人がまずは相手を理解しようと務める。

ただしこれが多様性を受け入れるとはまた違った話だ。

理解しようとするのは私達のエゴ。

そして理解できないのは私達の知識や経験不足。

そこで「多様性の受け入れ」を引き合いに出されるのは少し違う。

 

同調圧力

同調圧力の強い日本で生まれ育ち、教育を受け、そんな環境にどっぷり使った人達に「多様性」を語らせるのは少々厳しいかもしれない。

なぜなら「みんな一緒」が正義で、人と違った事をすればすぐに叩かれる社会だ。

今まで「ダメ」と言われ続けてきたものを突然「良いよ」と言われても、「はいそうですか」とはならないだろう。

だから日本人は無理に「多様性を受け入れよう」なんていう必要も思う必要もなくて、まずは同調圧力を減らしていく考え方、教育、行動をしていくのが先だ。

それを無くして一気に「多様性を受け入れよう」なんて事は絵に描いた餅でしかない。

まずは多様性を受け入れられる様な社会、環境、思考にしてから多様性を受けれていかなければいけない。



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